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日本人215人を救助したトルコ航空の元機長死去

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2013年03月04日 日本人215人を救助したトルコ航空の元機長死去

日本人215人を救助したトルコ航空の元機長死去

 イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空の元機長、オルハン・スヨルジュ氏が2月24日に死去していたと「小さく」報じられています。

 イラン・イラク戦争の最中だった1985年3月17日に、イラクのフセイン大統領(当時)が、48時間経過後にイラン領空を飛ぶ飛行機は、民間機といえども撃墜すると突然に宣言しました。

 タイムリミットは1985年3月19日の20時となりました。各国は大慌てで救援機を飛ばすのですが自国民の救出で手一杯で、日本人は乗せてくれません。

 日本ではJALが組合の大反対で救援機が飛ばず、政府も社会党(当時)の「自衛隊を戦闘地域に派遣してはならない」との主張で自衛隊機も派遣できず、あっという間にタイムリミットが近づいてしまいました。

 最終的に215人の日本の民間人が、文字通り戦闘地域に見捨てられたのです。

 そこへ奇跡的に手を差し伸べてくれたのがトルコ政府でした。トルコ航空機を2機テヘランに飛ばし、215人全員を乗せて脱出させてくれたのです。先月亡くなられたスヨルジュ元機長が1番機を操縦して3月19日19時15分にテヘランを飛び立ち、2番機が飛び立ったのが、何とタイムリミットの20時だったと言われています。つまりイラン領空で撃墜される危険性もあったのです。

 この2機の乗務員も、結果的にその機に乗れずに陸路で脱出したトルコ人も、日本人救出を当然のことのように考えてくれていました。

 その当時、日本政府は「我が国とトルコ政府の長年の友好関係のたまものである」などと他人事のように言っていたのですが、本当の理由は1890年9月16日に600人以上の乗務員を乗せて和歌山県串本町沖で座礁沈没したトルコ海軍の「エルトゥールル」号の救助を覚えていてくれていたからです。

 串本町民も死者を出しながら最終的に69名を救出し、嵐で漁に出られずに乏しくなった食料を分け与えながら衰弱で死者が増えるのを防いだのでした。

 トルコでは教科書に載っており、国民のだれもが知っている話のようです。

 ところで、この事態をトルコ政府に説明し、救援機を出してもらえるように頼んだのは伊藤忠商事のイスタンブール所長だった森永尭氏です。旧知のオザル首相(当時)に文字通り「日本人を代表して頼み込んだ」のです。

 森永氏は、2010年に「トルコ 世界一の親日国 危機一髪! イラン在留日本人を救出したトルコ航空」という本を出されています。本誌もアマゾンで頼みました。

 外務省の説明では、野村豊・在イラン大使(当時)の尽力ということになっていますが、違うようです。尤も野村大使ら大使館員は、215人の脱出後も現地に留まっており、外務省としては勇敢な外交官であったことは認めてあげなければなりません。

 しかし、この「平気で日本人を危険地域に見捨てる」日本政府の体質は、今も全く変わっていません。

 北アフリカのチュニジアで2011年1月14日、23年間の独裁政治をおこなっていたベンアリ政権が倒れ、国内が大混乱になりました。

 その時点のチュニジアには、200人の在留邦人と、ほぼ同数の観光客が滞在していました。一応不測の事態に備えて救出方法が議論されたのですが、当時は経営破綻して公的資金のお世話になっていたJALは救援機を飛ばすとは言わず、当時の民主党政権はわずか数人しかいない社民党(当時の社会党)の繰り返す「戦闘地帯に自衛隊を派遣してはならない」に遠慮して政府専用機を出せず(自衛隊員が操縦するからです)、おたおたしているだけでした。

 結果的に大事には至らなかったのですが、日本政府は1985年当時から「何の進歩もしていない」ことになります。

 スヨルジュ元機長の死去で、また重要な話題が風化してしまいそうなので、取り上げました。

 ご冥福をお祈りいたします。
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